日帝は全国に病院を建て、当初は無料で治療していたニダ!
2009/09/12 Sat
(プレシアン 韓国語 2009/09/11)
[医学史散歩] 全国に慈恵医院を設立しなさい!
明治天皇に感謝申し上げます
私は42歳であって、1907年から痔が発生して6年間薬を試してみたが効果がなかった。
慈しみ深い皇帝の広い徳でこの地域に慈恵医院が設置されたことにより、その恩恵を被り治療を受けた。22日ですべて良くなったので治療を通じて民を救おうと思うその神聖な恩恵に感謝して、永遠に忘れないことを約束します。
慈恵医院で治療を受けた患者が書いた感謝の手紙だ。ここで彼が感謝しようと思った皇帝は誰であろうか?
1897年、朝鮮は従来の事大関係を脱して大韓帝国になった。国王も皇帝になった。それならこの人が感謝しようと思った皇帝は高宗?
でなければ、高宗の後を引き継いだ純宗? 皆ちがう。
この韓国人が感謝を表明した対象は、日本の明治天皇だ。なぜこの人は日本の王に感謝の手紙を送ったのだろうか?
彼が治療を受けた慈恵医院が大韓帝国でなく、日帝によって設立されたためだ。
慈恵医院の設置
慈恵医院は1909年12月、全羅北道全州市、忠清北道清州市、1910年1月、咸鏡南道咸興市に各々設立された。1910年に10か所が増設されて計13か所、すなわち各道ごとに1か所ずつ設立された。慈恵医院が設立されたことで、地方民らは中央で建設した医療機関で治療を受けることができるようになった。1920年代中盤、道立医院に改編され、1945年の解放の頃その数は46か所に増えた。各道ごとに3か所だった。
慈恵医院は草創期に患者を無料で診療した。設立目的自体が貧しい人々の診療にあったためだ。無料診療の恩恵は韓国人らがより幅広く利用した。
日本人の場合、府・群庁、憲兵隊、警察署、居留民団、学校組合の証明書が必要だったが、韓国人の場合、特別な証明書がなくても診療を受けることができた。
▲平安北道の慈恵医院(義州)と江原道の慈恵医院(春川)
慈恵医院の巡回診療
慈恵医院は診療の恩恵を広げるために特別な努力をした。巡回診療であった。医師と助手が所属地域の主要所在地を訪問して患者を診療した。毎年1回または2回程度訪問し、1か所で大体1週間から3週間留まった。慈恵医院の所在地から遠方に居住する住民のために施行した出張診療を公式化したのだった。
慈恵医院が増設されて巡回診療が成り立ちながら、各地方の居住民が受ける医療恩恵の範囲は広くなっていった。
1910年に入院患者1万965人、外来患者6万2609人、計7万3574人が医療恩恵を受けたが、1918年には入院患者8135人、外来患者33万900人、計33万9035人が治療を受けた。8年で総患者数がほぼ4.6倍に近い増加率を見せたのだ。診療対象の拡大傾向は継続的につながった。明確に慈恵医院は韓国人に恩恵だった。
しかし問題はあった。開院が心急いて行なわれ付帯施設を完備できない場合が多かった。使われていない官庁の建物を応急に修理して院務を開始したりもした。ひどくは患者を受け入れる病室を用意することが出来ない所もあった。医者たちも問題であった。軍医らが大挙診療に従事したためだ。
慈恵医院と日本軍医
▲朝鮮総督府医院長 藤田嗣章
実は慈恵医院の設立自体が日本陸軍の支援のおかげで可能だった。朝鮮駐留軍が医療器具と薬品5万ウォン分を統監部に寄付することによって、慈恵医院が設立されたのだ。設立議論を進めたのも朝鮮駐留軍付軍医部長で併合後に総督府医院長になった藤田嗣章であった。
日本軍医らは日本政府が特別に養成した医師であるだけに一般の医師より優秀だという評価を受けた。だが彼らの主な対象は負傷者の治療であった。外科経験に比べて内科経験が不足するほかはなかった。しかも彼らの治療対象は軍人である成人男性だった。軍人らに対する診療経験は豊富だが婦人と小児科の経験が不足していたことは事実だった。軍医らが一般人を対象にした診療で持つ限界は明らかだった。
韓国人にはまた他の苦痛があった。言葉が通じなかった。通訳がいるといっても日本人医師に自らの苦痛を十分に理解させることはできなかった。韓国人患者らは「言葉と情がよく通じない医療機関で診療を受けるのは嫌」という評価が出てきた。言葉と文化が違う日本医者たちが韓国人になじんだ相手になることはできなかった。
慈恵医院の運営予算
▲公州慈恵医院長 田中徳次郎
さらに慈恵医院の設立目的だった無料診療の恩恵も順次減っていった。1910年から1917年まで60~80%を占めた無料患者の比率は1920年代中盤を過ぎると10%に落ちた。1940年代に至ると5%以下に落ち込んでいた。皆予算のためだった。
慈恵医院が設立された当時から運営予算に対してはうるさかった。ずっと「国庫で負担するべきか適当な時期に地方予算に移すか」を巡り意見が入り乱れていた。結論は独立運営だった。自主的に運営費を充当しろとの要求であった。
具体的には診療費と薬の価格を徴収し、さらに値上げを通じて収入を拡大する方案が検討された。結局、慈恵医院は従来割引をしていた薬の価格と診療費を上げた。
道立医院への転換
慈恵医院の運命は1920年代初期をたどりながら決定された。まず、日本本国で財政緊縮が成り立った。1923年、関東大地震は緊縮の程度を強化させた。日本本国の資金で財政不足を補充していた総督府は、日本本国で始まった財政緊縮の余波をそのまま抱き抱えるほかはなかった。総督府は自身の負担を最小化しようとした。その結果は慈恵医院の運営主体を道に移管するということだった。慈恵医院は1925年、道立医院になった。
道立医院は収益中心の運営を始めた。1925年以後に設立された道立医院に対しては、既存の慈恵医院が受けた基金の支援までなかった。自らの収益によって病院を運営しなければならなかった。運営費の調達のために多様な方式が動員された。医療スタッフには患者を熱心に診療して親切に待遇しなさいという篤励が成された。早期に退院できる患者を長期間入院させる便法が強行されたりもした。
▲清州の道立医院の診療光景
開業医らは競争相手に変わってしまった道立医院を批判した。道立医院の前身は慈恵医院であり、慈恵医院は本来、貧しい患者、頼る所ない患者を救済するために設立されたものと声を高めた。だが、その批判は通じなかった。1930年代に入り日本は戦争を拡大させていった。戦争費用は福祉に投与される予算を削った。韓国人らは自らが受ける診療に対して適切な価格を支払わなければならなかった。もうこれ以上の“慈恵”はなかった。
“慈恵”の後に隠れていた意味は?
▲元山医院
この文の初めに言及した感謝の手紙に戻ろう。痔の苦痛は体験してみた人だけが分かるという。トイレに行くべきかを考えただけでも苦痛だという話がある。6年もの間経験したその苦痛を、1か月にもならない時間で治療をしたというから感謝する心が生まれないことはない。感謝は当然の人間の道理だ。
だが、この手紙が載せられた<朝鮮総督府救療機関>(1912)を読んでみると、日本人患者の感謝の手紙を探すことはできない。絶対的な数では韓国人より少なかったが、相対的な比率では高かった日本の患者の手紙がないのはなぜであろうか?
それは韓国人患者の感謝が自発的であったのではなかった、という証拠ではないだろうか?
日帝は“慈恵”という名の下、地方民に対する診療を広げていた。だが、その恩恵は無料ではなかった。韓国人らは診療の主体の医師、総督、ひいては天皇に感謝を表明しなければならなかった。しかも植民支配が確固になりながら当初、韓国人が受けた恩恵は減った。医療はもうお金なしでは在り得ない対象に成っていった。(機械翻訳 若干修正)
日帝期の道立医院現況(1925年以前は慈恵医院)
1909年12月:全北全州、忠北清州 |
パク・ヒョンウ延世大学教授、パク・ユンジェ延世大学教授
これが反日脳って奴ですか……
こっちみんな
もうツッコむのも嫌だわ。
見上げた乞食根性ですね。
今すぐ病院つぶせよ全部日帝残滓だ、そして心霊治療に戻せ。
想像に反転。韓国人らしくてちょっと納得した。
もう死んでくれ。日本に居座るゴミ共は帰ってくれ。
でもってこっちみんな。
民主になってバカ共が自ら呼び込みに精を出しそうだが…
まず手前ぇ~ら自身で医療環境を整備出来なかったことの反省をしろ。
次に明治天皇に本気で感謝しろ。
それから、最後まで医療行為を放棄しなかった医者や関係者に敬意を表せ。
話はその後だ。
所詮itでしかないってことですね。
日本統治時代の朝鮮人と現在のitって、本当に同一な民族なのでしょうか?w
そもそも、植民地の住人に十分な医療を無料で提供する事はないだろうとは思いますが。
「ただより怖いものはない」ってもらう側の話じゃなくて、与える側の話だったんだね。
>アフリカの旧植民地が独立してからも旧宗主国に甘えてるような感じ。
比較にならないと思うよ。
受けた恩恵のレベルが違いすぎる。
ま、朝鮮の場合植民地じゃないけどね。
医者がマーシーに見えたのは秘密
武力で鎮圧し、人類史上まれに見る極悪非道な統治を行っていたハズなのに無料で治療している不思議。
というよりもとから朝鮮人はそんなものだったのだろう。こじきめ!
それにしても 無料の診療を始めた当時の日本人ってのはすごい。
「日帝が病院を建てたのは人体実験が目的だった!謝罪と賠償を要求する!」
とか言い出すぞ、きっと。
多少なりとも出費の帳簿のこってると思うよ。
日本人の記録癖をなめんな!
ようするにただのプロバガンダだろ
日本は都合の悪い資料は処分するからな。だから東京裁判でも手間どった
どこまで真実なんだか
どこに日本人の手紙を乗せる必要がある?
それだけでしょ?それほど、李氏朝鮮に憧れているんだ...
今からかかった医療費は損害賠償請求しよう。
病院は日帝残滓なのですべて壊すように。
我が先人達の負の遺産、大繁殖した朝鮮ゴキブリ。
やれあれがほしいニダ、
やれこの設備はだめニダ、
援助が足りないニダ
という、まぁ、朝鮮人の典型的思考ですね。
なんだぁ、折角一歩前進かなと思ったらまたいつもの『すべて日本が悪い!』で〆ですか
まで読んだ
南北朝鮮以外の全ての国に謝罪と賠償が必要だな
・・・あのー、これが自慢の韓方薬ですか・・・・
ちょっと偉げな人が病院長に礼状を書くのが普通です。
これを書いたパク・ヒョンウ延世大学教授、パク・ユンジェ延世大学教授両名は、反日菌に脊髄付近まで侵されていますね。
じゃ、「カムサハムニダ」のカムサって何!?
中国語もしくは日本語の”感謝”を朝鮮語で読んだといわれてます。
ようは朝鮮語の単語ではないと
>じゃあなんで日本人の書いた文章が出てきてない?
>6年間薬を試してみたが効果がなかった。
>22日ですべて良くなった
それまでの朝鮮では不治の病みたいな物があっという間に治れば奇跡みたいに見えるだろ。しかも、無料。大感謝だろ。
文章に残すほどの一大事。
一方日本人にとっては、普通の治療をしてもらっただけだから。
日常のことを一々文字にして残しておく必要がないだろ。
その違いだよ。
この記事を書いている途中、
この阿呆教授共は、一瞬でも「併合時代、そんなに悪くなった」
と思わなかったのかな・・・。
その場合は感謝の手紙を書くとしても、お医者様にしたためるだろう。
冒頭の朝鮮人の方は、慈恵ということで無料治療の対象者だったのでは?
だったら今まで日銭を払って6年も投薬していたのが、日本の建てた病院で無料で治してもらった。
だったらその相手の国の一番偉い人に感謝の手紙を書くのも頷ける。
それだけのことでは?
途中、軍医の話が出て、マルタ関連の話題に行くのかと思ったら、オチまで引っ張る文才に一本とられた。
だが何気に18年に計33万人の患者数と、18年以降の無料対象10%の関係は無視なのね。
患者増えたら費用もかさむわな。
これを書いたパク・ヒョンウ延世大学教授、パク・ユンジェ延世大学教授両名は、反日菌に脳天から尾骶骨まで犯されていますね。
これは藪医者や呪術師から苦情が来ても文句は言えないレベル
やはり日本は半島に害を成したニダ
これを反日に結びつけるなんて、朝鮮人の反日に関する才能は素晴らしいねw
行ったなら、全宇宙から恨まれても
仕方がない。
その苦しみを受けるのは業なのか。
死ねばいいんだよ。
日帝ひでえなw
それが無ければ生まれてこなかった韓国人も多数いるという事だよな。
韓国人は生まれながらにして日本人に恩があるんだよ。
彼らはご先祖様と日本人に命をもらったんだ。
むしろこれって歴史の啓蒙分で日帝サイコーって言ってるんじゃなかろうか。
で、保身のために最後にちょっと反日っぽいことつけといた・・・
俺って甘い???
その可能性は有ると思いますよ。
日本だって作家や記者が同じ苦労をした時代が有ったんですから。
資源さえあれば今頃、世界を平和に運営していたかもしれんとチラリと思ってしまった。
絶対めんどくさいと思うけど。
世界広しといえども間違い無く鮮人しか居ないでしょう。
「如何なる慈善も悪意の目で見れば虐待と化す」
連中らしいといえばソレまでですw
絶対めんどくさいと思うけど。
同感、勝たなくても講和していれば世界の
頂点に立っていたんじゃない?もしくはtop3
米露日。
民主党政権になったので、天皇訪韓を月山さんが言い出しそうだなぁ。
まともに相手にしたら
馬鹿を見るだけ。
もう某国には何もしなくてよい。
上も下もw
他の民は尽く忘れ去ってるのは悲しいよなぁ、。
日帝統治によって国民がだんだん豊かになっていったんだから、無料患者(低所得者)の比率が落ちだだけでしょ?
最後の結論には心底あきれたが。
別におまえが世界のリーダーになるわけじゃないから、少なくとも今よりは良かったはずだと思うよ。
英国捕虜が食事にゴボウを出されて
「草の根を食わされた! 虐待だ!」
と言っていたのをちょっと思い出した。
裸にされたり、針を刺されたニダ!
治療と言えば呪術と食糞しか知らない土人がこの世のどこかにいたとしたら、そう思う可能性はあるね
9年間で外来患者が5倍以上増えたのに対し入院患者は2割減ってる…
慈恵医院ができる前の治療のずさんさが浮き彫りですな
最初はタダだったけど、実は感謝を強要されていたニダ!
なるほど
朝鮮人にとって病院というのはあって当然、診療はタダで当然、治療を受けても感謝するのは筋違い……
まず日本が設立した病院を潰せ
次に全ての病院の診療報酬を全面カットだ
もし敗戦していなければ、特亜の連中が「日本人」として我が国にのさばっていたんですよ?
もっとも講和条件として満州を露助、半島を米にでもくれてやってたら話は変わるんでしょうが…でも東南アジア諸国は自治領としつつ日本国のままでいさせてね。
言いたい事は判る気はするが、そこで使ってる意味は間違いだ。
本来は「情けを掛ければ、巡り廻って自分の為になる」みたいな意味だから。
まぁ・・・「恩を仇で返す」相手には、情けを掛けても仕方ないけどな。
最近ではどちらの意味も認める様になってきたらしい。
(完全に市民権を得てはいないかも知れないが)
それより指摘したいのは、この場合の相手は人ではなく人モド(ry
というのがフルフレーズらしいんでやっぱり原義を押さえておいた方がいいかと。
良し分かった、僕が新しい文で問題解決しましょう!
「チョンへの情けは意味なさず」
「猫に小判、豚に真珠、鮮人に施し」
問題なんか無いし解決もされてないし、
そもそもお呼びじゃないと言うお叱りはスルーしますです。
まじで屑の見本
まさに「犬畜生にも劣る奴」だ
>居留民団、学校組合の証明書が必要だったが
日本人の場合は、無料になる範囲がかなり狭かったんでしょうね。
>絶対的な数では韓国人より少なかったが、
>相対的な比率では高かった日本の患者の手紙がないのはなぜであろうか?
>それは韓国人患者の感謝が自発的であったのでははなかった、
>という証拠ではないだろうか?
んじゃ韓国人の手紙は何十万通も残ってるんだろうね?え、ない?
それは患者の感謝が自発的であった。という証拠ではないだろうか?
比較すべき数も提示せずに、相対的な比率で高かった、とのべるのは韓国式算数ですか?
下関条約で日本が清国に朝鮮の独立を認めさせた結果ですね。
朝鮮の功績じゃない。
恩恵を与えてもらったらそのままずっと継続しろってかw
普通、徐々に国力が上がれば自分たちで何とかする流れになるだろ?
その前段階で日本は手助けしてやっただけだろ
こいつら見てるとアフリカ難民みたいな感覚だなと思うよ
援助物資を与えると、次からも当然もらえるものと思ってずっとアテにする
そしてもらえなくなると「文句を言う」んだwww
感覚がやっぱ土人だよ
こいつらの本来あるべき姿は北朝鮮が限界
日本が動物に文化を与えて失敗したいい例だな
http://www.yhlee.org/diary/?date=20030601
>「日本は朝鮮にいいこともした」という話は、毎度毎度出てくるが、植民地
>経営の一環として投資をするのは当たり前のことだ。教育にしたって、日本
>語ができ、日本に反抗的じゃない労働者をたくさん作るためには当然必要だ
>ろう。道路や港湾なんかの社会的インフラに関しては、言うまでもない。
>そして、その過程で植民地の人間がなんらかの恩恵を受けたとしても、それ
>はあくまでも副産物であって、それを恩着せがましく「あれもしてやった、これもしてやった」なんていわれてもねぇ。
だってよ(w。ちなみのこのブログ書いた人はザイニチ。
過去に牛だったのなら、今の人間の感覚で牛だった頃の文句を言うなと。
第一麻生氏の言葉の真偽を別として、その言葉を流用しるなどと、まさに真実の有無は自分の好きなようにと言う考えが現れてるな。
植民地の住人に国籍まで付与した過去の日本が憎くなる瞬間だ。
奴らの言うように徹底的に虐げておけば、揺すられる現状は変わらずとも、在日半島人など強引にでも全員送還し、密入国者も即返還で、日本の環境でぬくぬく太るだけの3世4世など存在しなかったものを・・・
だったら1945年以前に作られたインフラや与えられた知識・技術は全部捨ててしまえよと。
「日帝残滓」なんだろ?
あと、欧米諸国では植民地の住人に対しては「支配はしても配慮はしない」のが普通だったのを知らんのだろか。
連中は飽くまで資源と土地目当て。
エゲレス人はインド人を搾取して優雅なティータイムを楽しんでたんだぜ。
って言ってやりたいな。