FC2ブログ
【特別リポート】消えた「重要文化財を追え!」
(週刊新潮 2005年10月13日号)  



壱岐・安国寺の寺宝は「韓国の国宝」になっていた! 

ノンフィクションライター菅野朋子

 ここ数年、西日本を中心に、わが国の重要文化財が盗まれる事件が相次いでいる。しかも、盗品であるにも拘らず韓国の国宝に指定され、博物館で展示されている物まである。ノンフィクションライターの菅野朋子氏が、日本と韓国を舞台とした事件の背後を追い、重文窃盗団の組織や取引内容の詳細をあぶり出した。そして、驚くべき新事実を明らかにする。


 台風14号が近づいていた9月2日。島根県出雲市の古刹・鰐淵寺から、『紙本墨書後醍醐天皇御願文』など国指定の重要文化財(重文)4点を含む、仏画や経典13点が盗まれていることが分かった。

『紙本墨書後醍醐天皇御願文』は、隠岐に流された後醍醐天皇が鰐淵寺の僧に出した直筆の文書である。

 犯人は、収蔵庫の扉の南京錠とシリンダー錠をパールなどで破壊し、収蔵庫に侵入。体温を感知するセンサーも設置されていたが、作動しなかったという。

 鰐淵寺だけではない。重文を狙った窃盗事件はここ数年連続して起きている。

 2002年には、兵庫県加古川市の鶴林寺から国指定の重文『絹本著色阿弥陀仏三尊像』(以下『阿弥陀三尊像』)など8点が盗まれた。


『阿弥陀三尊像』は、阿弥陀如来を中尊として、左右に観音菩薩、勢至菩薩が描かれた高麗仏画だ。

 前年の01年には、愛知県豊田市の隣松寺から阿弥陀如来の極楽浄土の様子を描いた、県指定の重文『絹本著色観経曼荼羅』など7点が窃盗に遭った。これも高麗仏画で、韓国では国宝級といわれている。

 そして、98年には、聖徳太子の御廟がある大阪府太子町の叡福寺からも重文級の高麗仏画『楊柳観音像』を含む仏画32点が盗まれた。

 いずれも、窃盗の手口は鰐淵寺と同じだ。収蔵庫の南京錠をパールなどで壊し、中扉に穴を開けるなどして中に侵入。そして、他のものには目もくれず、目当ての重文だけを持ち去る。周到に準備された犯行といっていい。

 一連の事件をつないでいくと、ある共通点が浮かび上がる。それは、盗品の中に高麗仏画がある点だ。「高麗」にまつわる重文窃盗を遡ると、長崎県壱岐島の寺から国指定の重文経典が盗まれた、94年の事件にたどり着く。

 11年前に盗まれた経典は、どこに消えたのか。行方を追ううちに驚くべき事実に突き当たった。

 壱岐島の名刹・安国寺から国指定の重文『高麗版大般若経』(以下『大般若経』)が盗まれていることが発覚したのは、94年7月23日

 観光タクシーの運転手が宝財殿の南京錠が壊されていることに気づき通報したが、切断された南京錠は、セロハンテープで留めてあったという。経典が最後に確認されたのは、町の教育委負会が宝財殿に入った同年5月18日で、事件は発覚した日までの約2カ月の問に起きたと推定された。

『大般若経』は、版木に文字を彫り、墨で刷った仏教経典で、全部で600巻ある一部欠落)。縦25センチ、横15センチの折り本型で、1巻に20枚が折り込まれている。安国寺では、桐の箱に収められ、宝財殿に保管されていた。

 盗まれたのは、所蔵していた591巻中493巻。残りの98巻は、寺院内の宝物展示館で展示していたため無事だった。

 安国寺の大浦宏道住職が言う。

「桐の箱と経典を包んだ風呂敷だけが残されていました。宝財殿には県指定の古書や仏像などもあるのですが、犯人は、それらには一切手をつけていません」

『大般若経』は、朝鮮半島が高麗の時代(918~1392年)の1010年に版木作りが始められた。安国寺のものは初彫版が作られた時期の「重熙15年(1046年)」の年号が記された貴重なものだった。

 経典がどのような経緯で日本にもたらされたかは不明だが、安国寺には1486年、如円坊という僧によって持込まれたといわれている。朝鮮半島では高麗から李氏朝鮮にかわる141世紀末に儒教が仏教にとって代わり、廃仏気運から多くの経典や仏画が日本に入ってきた経緯がある。

 事件は、一時、犯人が絞られたといわれたが進展はなく、経典の行方も分からないまま時間が過ぎた。

 ところが、その後、驚くべき事実が伝わった。


意外な所有者

 安国寺で事件が起きた翌年の95年3月10日。韓国で、『大般若経』3巻が国の指定文化財・国宝第284号に指定されたのだ

 指定されたのは、第162巻、第170巻、第463巻の3巻。

 この3巻は、安国寺から盗まれた『大般若経』の中に含まれており、日本の学者たちの問ではすぐに話題になったという。

 日本が動いたのは、2年後の97年。文化庁は、韓国の重文指定一覧『動産文化財指定報告書94-95指定編』を入手し、掲載された写真と保管していた写真とを照合した結果、「一致」と判断。98年2月には、日本の外務省を通じて韓国に調査協力を要請した

 事態が動くかと思われたが、同年7月までに韓国側から「個人所蔵により要請に応えることは難しい」という回答があり、事態は膠着してしまう。

 そうして、手をこまねいたまま時間は流れ、01年7月23日、事件は遂に時効を迎えた

 大浦住職が憤る。

「韓国で重文に指定された大般若経は巻物ですが、折り目がみえ、署名のかすれなどもうちのものと酷似している。文化庁にあるネガと重ねて鑑定すれば、すぐに分かることなのです」

 こうした事態を韓国の〝所有者〟は知っているのだろうか。『動産文化財指定報告書』には、所有者は、「申某」とある。さっそく、住所にあるマンションを訪ねたが、申氏は引っ越した後だった。

 韓国の重文窃盗事件に詳しい捜査関係者が言う。

「申は、古美術収集家として知られ、〝江南の申〟といえば重文の仲介業者の間でも有名な人物」

 だが、申氏の行方を追ううちに、重大な事実を突きとめた。

 韓国の国宝となった「大般若経」は、現在、申氏とは全く別の人物が所有していることが判明したのである。

 その人物とは、「韓国を動かすCEO1OO」(朝鮮日報02年1月11日)にも登場したことのある有名な経営者。韓国の高級化粧品会社「コリアナ化粧品」の会長であり、韓国博物館会会長の兪相玉(ユ・サンオク)氏(72)だ。

 兪氏は、芸術品の収集家としても有名で、その数は5000点以上にも上るといわれている。

 彼は、名門・高麗大学を卒業後、東亜製薬に入杜するが、普通ならば定年を考える55歳の時(88年)にコリアナ化粧品を創業した立志伝中の人物である。

『大般若経』は、今年7月末まで2年間ほど、同社が経営する化粧博物館「space*c」に展示されていた。「space*c」の開館時(03年)、彼はこんなことを語っている。

「文化経営なくして、世界企業として成長することはできない。独のウエラは、かつら博物館、日本の資生堂とポーラは化粧博物館を持っている」(東亜日報03年11月13日)

 この博物館開館に当たり、『大般若経』を購入したとも考えられる。

 この兪氏には具体的な話を開こうと何度も取材を申し込んだが、「大変微妙な話で、内容をきちんと把握しないことには取材には応えられない」(コリアナ化粧品広報部)と、結局、取材を受けてはもらえなかった。

 兪氏所有の韓国国宝『大般若経』は、果たして、安国寺と同一のものなのか―。

 だが、韓同で所在が取りざたされた重文は『大般若経』だけではない。鶴林寺から盗まれた『阿弥陀三尊像』が、昨年、韓国の寺で発見されたと報道され、関係者は一時騒然となった。


闇取引の実態

 昨04年10月。首都ソウルで、重文窃盗容疑で霊媒師の金(56)と商売人の黄(54)が、逮捕された

 金らは、日本に不法滞在していた金の弟(48)と共謀し、98年・叡福寺、01年・隣松寺、02年・鶴林寺に侵入し、重文など計47点、約35億ウォン(約3億5000万円、ソウル地方検察庁鑑定)相当を盗んだと自白。供述から、『阿弥陀三尊像』の他に『絹本著色観経曼荼羅(隣松寺)を含む5点を韓国に持ち込んだことも明らかになった。

 だが、金は、「自分が仕える神が、日本が略奪した我が国の文化財を取り戻せと言った」と囁き、韓国の新間の見出しには、「『愛国者?』日本の寺院から文化財盗んだ窃盗団逮捕」(朝鮮日報)等、〝愛国〟の文字が躍った

 世論も加勢し、「褒賞金を与えるべきだ」等の声も上がり、ネット上では、愛国か否かで大論争となった。

 存在が確認された高麗仏画は百三十数点あり、うち100点以上が日本にあるといわれている。日本に渡った背景は様々だが、韓国では、秀吉の朝鮮出兵や日本統治時代に略奪されたという認識が根強い。

 だが、愛国心騒動を巻き起こした金らは、盗品をすぐに金銭に替えるなど、愛内心どころか単なるカネ目当てと判明。今年1月には、懲役判決(金は2年、黄は1年)が出た。

『阿弥陀三尊像』は、供述の1カ月後、慶尚北道の寺にあることが分かり、ソウル地検が寺を捜索したが、住職曰く「仏画は盗まれた」後で、結局、行方は分からないままだ。

『阿弥陀三尊像』は02年7月、鶴林寺から盗まれた後すぐ韓国に持ち込まれ、翌8月までに第一の取引が行われていた。

重文窃盗に詳しい韓国の別の捜査関係者が言う。

「重文窃盗は予め転売シナリオができている。〝ナカマ〟と呼ばれる仲介業者は、各々仏画、仏像などの専門に分かれ、物によってルートが決まる。彼らの重文に関する知識は学者並みだ」

『阿弥陀三尊像』は、6人の転売を経て、慶尚北道の寺に渡った。転売額は、約4億~5億ウォン(約4000万~5000万円)。金らは、最初の取引で、1億1000万ウォン(約1100万円)を手にしていた。

 果たして、『阿弥陀三尊像』は、見つかったとされる寺から本当になくなったのだろうか。真相を探るべく、寺を訪ねると、傾きそうな平屋の庵から、体格のいい住職が出てきた。もとは、武術をやっていたという。

「預かってくれと言われて預かった。それを倉庫に入れておいたがいつの問にかなくなっていた。盗ったのは頼んだ者だ。捜査が及んだので私に罪をなすりつけようと思ったのだろう」

 預かった巻物は開いてもいないと主張した。前出の捜査関係者が言う。

「転売ルートの殆どがみなグルだ。物を行ったり来たりさせながら時間を見ている。そして頃合いを見計らい金に替えていく」


返還に立ちはだかる壁

 重文売買の場合、中国に持ち込むケースもあるが、重文という性格上、取引先に困り、被害者と取引しようとする窃盗犯もいる。

 実際、鶴林寺では、『阿弥陀三尊像』以外の7点を、取引を持ちかけてきた犯人から直接取り戻している。

 日本語ができない金の弟の代理だという男から電話があったのは、事件発生から4カ月後のこと。男と鶴林寺のやりとりは20回以上に及び、03年3月、東京のホテルの一室で取引に応じたところを隣室で待機していた加古川署員に逮捕された。男の取引提示額は550万円だった。

 男の供述から金の弟も逮捕され、自宅には、叡福寺から盗んだ仏画の掛け軸などが、「取引に失敗して処分に囲ったのか、無惨に切り刻まれてゴミ袋に入れられていた」(捜査関係者)というから愛国心が聞いてあきれる。

 実は、叡福寺から盗まれた高麗仏画『楊柳観音像』も韓国に持ち込まれたといわれている。韓国の高麗仏画研究の第一人者、鄭字澤(チョン・ウテク)・東国大学教授のもとに、『楊柳観音像』についての問い合わせがあったというのだ。

 鄭教授の話。

「〝楊柳観音像は植打ちがあるものなのか。今、韓国にあるのだが〟と言う。私は、〝楊柳観音像は日本にある。韓国にあるはずがない〟と言いました」

 だが、鄭教授は『楊柳観音像』の所在が気になり、叡福寺にすぐ電話を入れた。この電話により窃盗が発覚するのだが、『楊柳観音像』の行方もまた、いまだ分からないままだ。

 韓国文化財庁は、この事態をどう捉えているのか。見解を尋ねると、「大般若経は個人所有であり、また外交問題につながる憂慮があるのでコメントできない。また、阿弥陀三尊像も所在が分からない状況では何も言えない」と、にべもなかったが、日本返還には、もう一つ壁がある。韓国の民法上「善意の取得」が適用され、所有が認められてしまうのだ。

 日本政府はただ傍観するしかないのだろうか。日本の文化庁美術学芸課の話。

「明らかに日本にあったものが韓国にあるわけですから、返還は当然だと思いますが、法的にも手段がなく、最終的には、交渉=外交ルートという方法しかないのが現状なのです」

 ユネスコ条約に則れば返還は可能だが、日本は、02年9月に批准しており、これ以前の重文窃盗品は対象外となってしまう。

「高麗」が結んだ、玄界灘を越えた窃盗劇。盗品の日本返還は、韓国の良心に頼るほか手立てがない、というのが現実だ。



shukanshincho20051013-51.jpgshukanshincho20051013-50.jpg

shukanshincho20051013-53.jpgshukanshincho20051013-52.jpg




略奪された文化財を自力で取り戻しただけニダ♪

71564365.jpg


 

ウルフピー  害獣忌避用品
B0048ZBWWI
日本ニュース | コメント(0) | トラックバック(0)
コメント

    管理者のみに表示