韓国人がハワイに移住した訳は「苛斂誅求」と「貪虐」のためニダ!
2010/01/13 Wed
(中央日報 2010/01/13)
「朝鮮(チョソン 1392~1910)国の常民として米国へ向かう者は、米全域で敷地を賃借でき、土地を購入し住宅や倉庫を建築できる」--。
1882年に結ばれた朝米修好通商条約の第6条により、米国への移住の道はすでに開かれていた。しかし、米国領ハワイへの移住は1902年、韓国駐在アメリカ公使アレンにより実現された。「中国人は米国入りが不可能だが、韓国人はハワイ入りが可能だ」。同年3月31日に大韓帝国(1897年から1910年までの間、朝鮮が使用していた国号)の皇帝は、中国人は排斥される米国への移住が可能だという甘い言葉に口説かれて移住を許したわけではなかった。
「干ばつがひどすぎて農作に望みがないから、急がれない土木工事は一切停止し、すべての港からの米穀の持ち出しを禁じる」(高宗実録・1901年10月16日)。防穀令が下され、安南米(ベトナム産のコメ)30万石を輸入したが、民の飢えは解決できなかった。飢饉(ききん)を克服し外貨も獲得できる一挙両得の効果も期待でき、何よりもハワイへの移住が韓国の主権維持についての米国の関心を深められるというアレンの説得は皇帝の心を動かした。
しかし、この地の人々が生まれ育った地を離れた最も大きな理由は飢えのためだけではなかった。
「苛斂誅求(かれんちゅうきゅう、税金の取り立て)と貪虐(貪欲で暴虐な扱い)に苦しめられ、寒さと飢えに耐えられず、北方のロシアに流浪し、南方のハワイの方面に移住している。しかし各政派は利権を求めて諸党派に分かれ、紛争ばかり繰り広げている」(1902年12月29日付・皇城新聞)。
その時、ディアスポラ(diaspora 散らされた者の意)をそそのかしたのは「虎よりもより怖い過酷な政治(苛政猛於虎)」であり、親ロ・親日・親米に分かれ、しょっちゅう派争(派閥の争い)を展開した為政者による政局の不安だった。
1902年11月、現在のパスポートに相当する「執照」の発給を担う綏民院が設けられ、船の汽笛を鳴らして済物浦(チェムルポ)を発った初の移民船ゲーリック号が米ホノルルにいかりを下ろした日が翌年1月13日だった。ハワイが独立運動の基地化するのを懸念した統監府が海外移民禁止令を発した1905年末まで、66回にわたり7394人が移民船に乗った。5700人が3年間の契約期間を終えてハワイに定住し、残り2割は米本土に移住し、現在200万を上回る韓国系米国人社会のもとになった。
サトウキビの農場で日雇いとして働き、最低の賃金で苦労したが、ハワイに移住した韓国人は毎年3~5ドルの独立運動資金「愛国金」を支払うのをためらわなかった。暗うつな帝国主義・日本による植民支配時代(1910~45)の下、それらは中国・上海臨時政府の外交独立闘争や大韓軍政署などが満州で展開した武装抗争を支えた頼もしい資金源であった。それらの血と汗が大韓民国の建国の元肥になったことを忘れてはなるまい。
慶煕(キョンヒ)大学部大学長・許東賢(ホ・ドンヒョン・韓国近現代史)
韓国人はこうした李朝時代の社会の状況を認めないとね。
ガリーナ・ダヴィドヴナ チャガイ
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れた在日本大韓民国民団中央本部(民団)の賀詞交歓会に出席し、あいさつし
た。井上義久幹事長、斉藤鉄夫政務調査会長、松あきら女性委員長ら、多数
の衆参国会議員も出席した。
この中で浜四津代行は、「日本にとって韓国は、文化大恩の国であり、兄、姉の
国だ。公明党の議員はこの思いを共通にしている」と強調
日本国と日本国民に対する許されざる侮辱犯罪行為、日本人社会の破戒者
反日売国政党創価学会公明党が長い間、日本国民や学会信者を騙してきた
ことを宣言した。
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NOOOOOOOO!!
ついに米1に愛信通信が現れてしまった!!
もう増えなくていいよ
事大主義、民族間紛争、今も昔も変わらんなw
土地の購入原資4億円が政治資金収支報告書に記載されていない問題で、
東京地検特捜部は13日夕、東京都港区の陸山会の事務所やゼネコン大手
「鹿島」本社など関係先の家宅捜索を始めた。 特捜部が小沢氏周辺を強制
捜査するのは昨年3月の西松建設による違法献金事件の捜査以来10カ月
ぶり。特捜部は、小沢氏側の意向が反映されたとされる「胆沢(いさわ)ダム」(岩手県奥州市)の受注をめぐるゼネコン側の裏金工作疑惑と4億円の原資
の関連性を捜査しており、年明けからのゼネコン関係者からの一斉聴取に続
いて、家宅捜索で全容の解明を目指すとみられる。
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その利権争いなんかが原因で日本にしてくれって懇願してきたのは何処のどいつだよwww
これが正しい朝鮮半島の支配の仕方なんでしょ?
・苛斂誅求と貪虐に苦しめられ、寒さと飢えに~
・虎よりもより怖い過酷な政治
がその前の政治だったのに、暗鬱な帝国主義とか意味わからず。
で、前王朝の関係者による臨時政府に愛国金とか払うのも意味わからず。
主権が他民族に移っちゃったのは悔しかったんだろうけどね。
<朝鮮総聯関係者さんより>二階堂さん、
小生のメモによれば、山岡賢次は在日認定である。彼の通名は「金子賢二」
である。昭和18年4月25日生まれで、安田生命の保険外交員の時に山岡邸
に出入りしはじめ、世間慣れしていない山岡荘八夫人の歓心を買い、言葉巧
みに秘書に潜り込んだ。
そしていつの間にか一人娘の長女・秀江にいいより、やがて結婚に成功する。
成りすまし在日のパターン通り、養子縁組。山岡荘八の本名、藤野姓を名乗
り「藤野賢二」となるが、ほどなく「藤野賢次」と改名。これにて「金子賢二」は
完全に消滅。
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日帝の酷い~(笑)はウンザリです。
あんたらの嘘には厭きました。
何を、とは言わんが、少なくとも犬や猫じゃあない
なんかもうハワイ行く気なくした・・・
●1764年1月22日 大阪
100万軒はあると思われる家の全ては「瓦の屋根」だ。凄い。
大阪の富豪の家は「朝鮮の最大の豪邸」の10倍以上の広さで、
銅の屋根で、黄金の内装である。 この贅沢さは異常だ。
都市の大きさは約40kmもあり、その全てが繁栄している。信じられない。
中国の伝説に出てくる楽園とは、本当は大阪の事だった。
世界に、このように素晴らしい都市が他にあるとは思えない。
ソウルの繁華街の10000倍の発展だ。
北京を見た通訳が通信使にいるが、「北京の繁栄も大阪には負ける」
と言っている。
穢れた愚かな血を持つ、獣のような人間が中国の周の時代に、この土地にやってきた。
そして2000年の間、平和に繁栄し、一つの姓(つまり天皇家)を存続させている。
嘆かわしく、恨めしい。
●1764年1月28日 京都
街の繁栄では大阪には及ばない。
しかし倭王(天皇)が住む都であり、とても贅沢な都市だ。
山の姿は勇壮、川は平野を巡って流れ、肥沃な農地が無限に広がっている。
この豊かな楽園を倭人が所有しているのだ。
悔しい。 「帝」や「天皇」を自称し、子や孫にまで伝えられるのだ。
悔しい。 この犬のような倭人を全て掃討したい。
この土地を朝鮮の領土にして、朝鮮王の徳で礼節の国にしたい。
●1764年2月3日 名古屋
街の繁栄、美しさは大阪と同じだ。 凄い。
自然の美しさ、人口の多さ、土地の豊かさ、家屋の贅沢さ…この旅で最高だ。
中原(中国の中心地)にも無い風景だ。
朝鮮の都も立派だが、名古屋と比べると、とても寂しい。
人々の美しさも最高だ。
特に女性が美しい。 美しすぎる。 あれが人間だろうか?
「楊貴妃が最高の美人だ」と言われているが、名古屋の女性と比べれば、
美しさを失うだろう。
(帰路にて)
名古屋の美人が道を歩く我々を見ている。
我々の一員は、名古屋の美人を一人も見逃さないように、
頭を左右に必死に動かしている。
●1764年2月16日 江戸(東京)
左側には家が連なり、右側には海が広がっている。
山は全く見えず、肥沃な土地が無限に広がっている。
楼閣や屋敷の贅沢さ、、人々の賑わい、男女の華やかさ、城壁の美しさ、橋や船…。
全てが大阪や京都より三倍は優っている。
この素晴らしさを文章で表現する事は、私の才能では不可能だ。
女性の美しさと華やかさは名古屋と同じだ。
何これうけるwww
鶏泥棒はまんまと描写されたけど
強姦フラグ立ちまくってんじゃん!
すげえw
日本人が大嫌いであっても認めざるを得ない日本の文化的成熟度を描写し、なおかつ自分たちの方が血統的にも文化的にも優れていると牽強付会の論をぶつのは昔っからなんだな